【インタビュー】DER ZIBET『句点~Period~』で刻む永遠の約束…ISSAYが遺した声、仲間たちの祈り

DER ZIBETが、最後のアルバム『句点~Period~』を完成させた。
デビュー40周年という節目の年に発表される本作は、2023年8月5日に他界したヴォーカリスト・ISSAYへの深い祈りと、彼とともに歩んだ歳月の証として刻まれる一枚だ。
『句点~Period~』は単なるアルバムではない。ISSAYが遺した仮歌詞と仮歌…その7曲分のデモをもとに、ギタリストのHIKARUが仲間たちと共に紡ぎ上げた音の記録だ。そこにあるのは、悲しみよりもむしろ、音楽が生き続けるという確かな希望の証でもある。
制作の背景には、盟友・宙也(アレルギー / De-LAX / LOOPUS / 極東ファロスキッカー)が開催を決めた40周年ライブの実現や、トリビュートアルバム『ISSAY gave life to FLOWERS』に関わったアーティストたちの想いがある。「これは奇跡のような作品になった」と語るHIKARUの言葉の重みを、その一音一音が静かに物語っている。
ISSAYが最後に遺した言葉、そしてHIKARUが託した“句点”。それは、終わりでありながら、どこかに続いていく音の余韻でもある。今、DER ZIBETの歴史に穏やかに打たれる“句点”の意味を、HIKARUの言葉から紐解いていきたい。

──DER ZIBETは2025年でデビュー40周年を迎え、このたびはその歴史に終止符を打つアルバム『句点~Period~』が発表されることになりました。2023年8月5日にISSAYさんが他界されてからここまでの日々を振り返ると、今作が完成へと至ったことは奇跡のようにも思えます。というのも、2024年夏にトリビュートアルバム『ISSAY gave life to FLOWERS – a tribute to Der Zibet -』が出た際にインタビューをさせていただいた時には、HIKARUさんがかなり悩んでいらっしゃったと記憶しておりまして。
HIKARU(G):そうそう、あの時点だとISSAYの仮歌詞と仮歌を入れたものは7曲分ある状態だったんだけど、オケは全て打ち込み状態だったし、ギターがちょっと入っているだけの状態だったんでね。正直、そこから「どうしていこうかなぁ…」とは思っていたんですよ。だけど、夏が過ぎて去年の年末くらいだったかな。宙也(アレルギー / De-LAX / LOOPUS / 極東ファロスキッカー)が、2025年10月1日の高円寺HIGHライヴ<DER ZIBET 40th anniversary LIVE ~Period~>を先に決めてきちゃったのね(笑)
──DER ZIBETのメンバーでもなく、マネージメントでもなく、ISSAYさんの盟友である宙也さんが率先してライヴスケジュールを決めてきてくださった、というのはなんとも深い愛を感じられる逸話です。
HIKARU:結局、そこで「これはじゃあ、来年の10月に当てていくしかないな」っていう覚悟ができた。具体的には、2025年の年明けから制作を再開していきました。
──ということは、もともと40周年に向けて作り始めていたわけではないのですね。
HIKARU:そういうことではなかったね。コロナ前からアルバムは出そうと思っていたけど、コロナで一時的にいろいろ先行きがわかんなくなっちゃった時もあったし、それ以降も普通に『不条理』に続くアルバムを作ろうとしていただけ。
──そこから2023年8月5日を境にして、HIKARUさんとしては気持ちの整理をする時間もかなり必要だったのだとお察しします。
HIKARU:うん、あれからほぼ1年間のことは…あんまり覚えてないというか、ほぼ記憶にない。でも、あのトリビュートアルバムがひとつの切っ掛けになったのは確か。そこまでの1年間はデモが残っていたとは言っても、俺はISSAYの声を全く聴いてなかったんですよ。だけどあのトリビュート『ISSAY gave life to FLOWERS – a tribute to Der Zibet -』が出るとなった時、制作には関わってなかったとはいえ俺もDER ZIBETの曲たちと向き合わさせるを得なかったところがあったからね。

──高円寺HIGHで開催された<DER ZIBET 40th anniversary LIVE ~Period~>では、演奏前にHIKARUさんと今作にもコーラスで参加されているちわきまゆみさんがトークされるコーナーがありました。HIKARUさんはその場で、2024年8月4日にトリビュートアルバムのリリースと連動して開催された<ISSAYトリビュートライブ – ISSAY gave life to FLOWERS ->に出演されたことにより「吹っ切れたところがあった」という旨の発言もされていらっしゃいましたね。
HIKARU:トリビュートライブに関しては、誰も仕切る人間がいなかったから俺がバンマスをやらざるを得なかったっていうのがほんとのところだけど(苦笑)。やったらやったでいろいろ大変だったしさ。でもまぁ、終わってみたらやって良かったなと思ったね。あとはやっぱり、あの時に岡野(ハジメ)さんと会って話をしたのも大きかった。
──岡野さんはかつてDER ZIBETのプロデュースも手掛けられていますし、トリビュートのプロデューサーも務めてくださいました。また、HIKARUさんとはPUGSで全米ツアーを廻られた仲でもあるわけですが、昨夏にはどのようなお話をされたのです?
HIKARU:まずは「仮歌詞と仮歌の入っている音源があってさ」というところから、いろいろ相談したんですよ。その時もらった言葉に後押しされて、腹を括れたところはかなりある。
──そして、これは『句点~Period~』のライナーノーツでも触れられていることですが、その7曲分の仮歌詞と仮歌というのは仮のものでありながら、そのまま本番として使えるようなクオリティであったとか。
HIKARU:ありがたいことにね。これまでだったら仮歌詞にしろ仮歌にしろ、そこからまた練って録り直して作るのが普通だったから、そこは今回ちょっと異例だった。
──曲や詞の作り方がそれまでと違った、などの変化がもともとあったのですか?
HIKARU:いや、それはない。ただ、あまり記憶に残ってないっていうのもあるけどね。今思うとコロナ前くらいから曲作りを始めてて、ちょっとずつやっていたのは覚えているんだけど、ISSAYが歌詞をのせたのは2022年くらいだったのかな。そこもけっこうあやふやで、後になって「仮歌が乗っているのが7曲もあったんだ」って自分でも驚いたくらい(笑)。そういう意味でも、このアルバムはほんとに奇跡が重なってできたものなんだなって感じている。
──そうした奇跡のひとつとして、『句点~Period~』にはDER ZIBETとISSAYさんとの深い縁を持ったミュージシャンの方たちが参加されていることも挙げられるのではないかと思います。宙也さん、ちわきまゆみさん、米澤 誠一朗(ex.Lynx / W.A.R.P./ Mother Goose)さんがコーラスで参加されているのをはじめとして、ベースを弾かれているJUN(Valentine D.C.)さんも、トリビュートアルバムとトリビュートライヴでもご協力をいただいたおなじみの顔ぶれです。

HIKARU:まぁ、カツ(=MOTOKATS。ex.THE MAD CAPSULE MARKETS/SCHAFT/KA.F.KA)だけトリビュートの時は参加してなかったけどね。
──そこも非常に重要ですよね。MOTOKATSさんに今回ようやくご参加いただけたのは、本当にありがたいことだと思います。わたしはトリビュートアルバム制作委員のひとりでもありましたので、KA.F.KAでISSAYさんとバンド活動をされていたMOTOKATSさんにはレコーディングにぜひご協力をいただきたいとのオファーを当時させていただいたのですが、丁寧な文面にて「精神的に今はまだ向き合うことが難しいので辞退させてください」という旨のお返事があり、その胸中はもちろん推察することができました。故に、ここに来てMOTOKATSさんが『句点~Period~』の制作と40周年ライヴに関わってくださったことを大変嬉しく感じております。
HIKARU:俺、KA.F.KAのライヴは全部観てるからさ。カツとはKA.F.KAの飲み会で仲良くなったんだよね。しかも、実はTHE MAD CAPSULE MARKETSとPUGSって昔テキサスでタイバンしたこともあるの。でも、アイツその話をするたびにいつも忘れてんだよ。今回もアルバム作るのに参加して欲しいっていうオファーを出してから一緒に呑みに行ってさ、またテキサスの時の話をしたら「えーっ、そうだったんですか?」って(笑)
──あの頼もしいドラミングからは想像できない天然ぶりですねぇ。
HIKARU:まぁ、意外とそういう面もあるみたい(笑)。
──MOTOKATSさん以外の方々にも、今回のレコーディングにあたってはHIKARUさんからお声掛けをされたのでしょうか。
HIKARU:さかのぼると、2024年8月4日にトリビュートライヴがあった翌日の8月5日(ISSAY氏の命日)にも下北沢Club Queで宙也の主催したライヴ(<ISSAY追悼ライブ~Memorial Flowers & Friends>)があって、俺はそれを観に行ったんだよ。で、そこの打ち上げで宙也と「2025年も8月5日にライヴしよう」っていうことになったのね。
──実際、2025年8月5日にはHIKARUさんもまじえての、というかHIKARUさんがバンマスとなっての<ISSAY Memorial Flowers>が開催されましたね。しかも、その場でアルバム『句点~Period~』の発売が初インフォメーションされることになりました。
HIKARU:だから、2024年の下北沢Club Queの打ち上げにいたJUNとヨネ(米澤 誠一朗)には、その場で「来年もやるから」っていうかたちで声を掛けてるんですよ。あと、ちわきはいなかったけど参加してもらおうって決めてたし。で、ドラムは「俺はカツとやったことないからやりたいんだよね」っていうことで後日、声を掛けたっていう流れ。
──なるほど、そういうことでしたか。
HIKARU:当初は8月のライヴに向けて動き出した中で、途中から宙也が40周年記念のライヴも決めてきちゃって(笑)、アルバムも完成させなきゃってなったから、そのままレコーディングでもみんなにやってもらったみたいな。それと、ライヴに関してはセットリストを決めていくうちに宙也とちわきのふたりだけだと大変かもねっていうことで、宙也が「Ken-ichi(Valentine D.C./ VERTUEUX)も誘ったら?」って言ってくれたのね。俺もそうだけど、みんなもやってて感触が良かったらしく、同じメンバーが快く8月と10月のライヴも一緒にやってくれることになったんですよ。
──そうした中、アルバム『句点~Period~』のレコーディングにおいて各パートのアレンジをどのように進めて行くことになられたのか、という点についても教えてください。
HIKARU:デモに入れてあった打ち込みの音を基本にしてもらいつつ、ドラムとベースは「好きなことやっていいよ」って言って任せました。なんで、それぞれ自分たちで好きなように変えたところもあったんじゃないかな。
──ディレクションはHIKARUさんが?
HIKARU:ジャッジはしました。でも、あんまり細かくは言ってない。
──これまでであれば、まずはオケを録ってから歌録りというのが定石であったとすると。完成度が高かったとはいえ、今回はデモの仮歌ありきでオケを仕上げていくことになられたわけですよね。そうしたイレギュラーなプロセスを経る必要のあったレコーディングは、きっと難しい点も多々あったのではないでしょうか。
HIKARU:なにしろ、歌に関してはダメ出しをしてないからねぇ。細かいところだけど何ヶ所かは気になったところもあったんだけど、そこは音全体のバランスも見つつ仕上げていくのにけっこう苦労したところだったかもしれない。でも、曲としての基本的な骨格は前からできていたし、リズムも固まったし、あとは作業的に言えば(藤原)真人のキーボードと俺のギターを重ねていったくらいだね。「部屋の中」に至っては、打ち込みの音と歌だけだから完全にデモのまんまですよ。最終段階でエンジニアがリミックスしてくれただけです。
──レコーディング中、真人さんとの間ではどのような言葉が飛び交っていたのかも少し気になります。
HIKARU:そこはいつもと一緒。大体、ウチに来てキーボードを弾いてた。
──では、ここからはアルバムの内容そのものについてもお話をうかがって参りましょう。今作『句点~Period~』は内容的にトータリティを感じる構成となっているように感じられるのですが、デモの制作段階からなにかしらコンセプトのようなものを意識されていたことになるのでしょうか?
HIKARU:偶然です。残っていた7曲を並べたらこうなりました、っていうことなんで。今回はその7曲にくわえて、前に出した『reD biteZ』(活動を再開した2008年に限定販売されたシングル)に入っていた「16秒のMelancholy」「君だけがいない夏」「愚か者の舟」もボーナストラックとして入れたんだけど、これは配信されてない曲たちなんですよ。
──『reD biteZ』はライヴ会場での限定発売作品でしたし、ファンの方でも買い逃してしまっていた方がいらっしゃるのではないかと思われます。レア音源ですよね。
HIKARU:俺もCD持ってないもん(苦笑)。それどころかデータのハードディスクもトラブルで飛んじゃってたんで、今回はCDを持っている人から借りて音源化したっていうね(苦笑)。それでまぁ、今回は7曲+インスト1曲、そして『reD biteZ』の3曲で計11曲をマスタリングしたわけなんだけど、最初から最後までトータルで聴いた時の感じが凄く良いっていうのは確かに感じた。
──『句点~Period~』本編の曲順はどのようにして決められたのですか?
HIKARU:それは俺が考えた。インストはネタが幾つかあった中から絞って作ったのが「雲海~sea of clouds」で、これにもドラムとベースを入れてもらったんですよ。それによって、曲としての膨らみを出せたんじゃないかなと。
──聴いていてイマジネーションが膨らんでいくという意味では、この『句点~Period~』におけるISSAYさんの歌詞も滋味深いものばかりです。HIKARUさんは先ほども少しお話されていましたけれど、とてもこれが仮歌詞のままのものとは思えません。
HIKARU:今までだと、ISSAYといろいろディスカッションして最終形になることが多かったんだけどね。俺が最初のユーザーとして見た時に、客観的な意見として「この表現がわかりにくい」とか「こういう詞にしたいならリズムの方をちょっと変えようとか」、そういう部分が必ずいくつかは出て来ていたんだけど、今回は何故か最初からこういうかたちに出来上がってたんで、全く俺は口を挟んでない。全編そのままっていうのは初めてですね。
──そうしたことも踏まえつつ。詩人としてのISSAYさんは、HIKARUさんにとってどのような存在なのでしょうか。
HIKARU:これは前にもどこかで言ったかもしれないけど、メジャー時代とか活動休止(1996年)前って、俺はアイツの歌詞のことを全然理解できていなかった。中には「いいな」と思うのもあったけど、再結成(2008年)してからなんだよね。昔の曲をライヴでやったりしてても、ふと「こういう歌詞ってほかにないよね」って感じるようになったんですよ。
──いわゆる業界内のシンパやファンの方々は、デビュー当時からISSAYさんの書かれる歌詞にも着目していたとは思うのですけれども。
HIKARU:でも、俺は「沈みたい」とか「待つ歌」とかってほんと意味わかんなかったし、アタマの中にも全然入って来なかった。曲のタイトルが「沈みたい」だなんて、どういうことなんだろう?って(笑)。それがISSAYらしさなんだっていうことを理解できるようになったのが、まさに再結成後だったよね。だからこそ、今となってはアイツがいないともうDER ZIBETとしての作品はできないなと思ったんですよ。
──つまりはその想いからの『句点~Period~』なのですね。
HIKARU:ここ数年は『別世界』『20世紀』(ベストアルバム)、『不条理』って漢字のアルバムタイトルが続いていたから「アイツなら『LAST~』みたいなタイトルじゃなくて、きっとまた漢字を使うんじゃないかな」と思ったのもあって、句点とPeriodを一緒に並べたんだ。当然これはここで終わるっていう意味だけど、宙也がこのタイトルに対してはちょっと面白いことを言っててね、「句点はひとつの終わりだけど、でも句点の次にまた文章が続くこともあるよね」って。だから、一応「そういう見方もできるね」とは答えたんだけど。でも、もう何も残っていないのは事実ですよ(笑)。
──ちなみに、HIKARUさんが再結成の前後でISSAYさん詞に対する見解が変わられたように、ISSAYさんにも再結成の前後で変化されたところはあったのでしょうか。
HIKARU:良い意味でこだわりがなくなったというか、フラットになったところはあったと思う。それこそメジャーの頃は詞に対するこだわりがめちゃくちゃ強かったけど、再結成後はそれがなくて。あんまり自分から「こうしたい」っていうのもないから、詞を書いたあとはこっちに任せちゃうの。褒められるかけなされるかを待っているんだよ(笑)。で、「ここ意味がちょっとわかんないんだけど?」って訊くと、「俺もわかんないんだよね」って笑っているようなこともあったから。そういうところはけっこう軽くて、こっちとしてもやりやすくなったっていうのはある。
──なお、今作『句点~Period~』では1曲目の「戻れない時間の渦」から「POISON FAIRY」「NIGHT WALKER」、さらに6曲目の「月の小径 ~Pray under the moon」でも“月”というモチーフが詞の中にそれぞれのかたちで織り込まれているところが実に印象的です。このアルバムにトータリティやコンセプチュアルな雰囲気を感じるのは、そのあたりに起因しているところもあるように思います。
HIKARU:アイツ、夜とか月とかダンスって言葉は昔からよく使ってるからね(笑)。最初は「ボキャブラリー少ねーなぁ」と思っていたんだけど、後になって考えてみるとそういう言葉は象徴だったんだなっていうこともわかったからさ。決してボキャブラリーが少ないわけじゃないんだよ。そういえば、最初「月の小径 ~Pray under the moon」は「冬の小径」っていうタイトルだったんだけど、これは俺が「もうちょっとミステリアスな雰囲気の方がいいよな」と思ってこれに変えさせてもらいました。
──「月の小径 ~Pray under the moon」は、高円寺HIGHでの<DER ZIBET 40th anniversary LIVE ~Period~>でも今作から唯一演奏された曲でしたね。それも、ISSAYさんの歌を流しながらみなさんがコーラスをされるようなかたちで。

HIKARU:この曲は、当日出ていたメンバーがKen-ichiを除くと全員がアルバムでコーラスやっているんでね。アンコールでああいうかたちでやった方が普通に演奏するよりもいいかなと思ってやったんですよ。ただ、レコーディングの時はアレンジで凄い悩んだ。今回一番悩んだというか、この曲だけどうしようかと何回も考えてね。最後にたどりついたのは「これはレクイエムにしようかな」っていうことで、音をどんどん削ぎ落としていったらあの完成形になりました。ISSAYの歌に引っ張られた部分も大きいかな。
──ほかにも、今作の制作中にHIKARUさんがもともと予想していなかったような展開になった例はあったのでしょうか。
HIKARU:「NIGHT WALKER」で宙也がダブルヴォーカルみたいな感じの歌を入れてくれているんだけど、あれは宙也からのアイディアでやったんだよね。一緒に考えながら曲を膨らませていくことができたんで凄く良かったし、彼の一言がなかったら全然違うものになっていたと思います。宙也に助けられました。
──かと思うと、「8月は青い幻」は良い意味でDER ZIBETとしては意外なくらいの清涼感をたたえた歌で、こんなにも光と風を感じる夏の曲はなかったように思います。
HIKARU:この曲、なんか好きな人が多いみたいね。そんなに夏っぽさを狙って書いたわけじゃないし、DER ZIBETを意識して書いているとかでもなく、自分がストックしてる何百曲もの中から選んだ曲のうちのひとつがこれで、それを膨らませていったらこうなったっていうだけの話なんですよ。それに、歌が乗って初めて成立することも多いんでね。自分でも完成してみて、何故こうなったのかはちょっとよくわからないところがある(笑)
──1曲目の「戻れない時間の渦」は、タイトルからして非常に考えさせられるところの多い曲ですが。自由でありたいと願い続けていたISSAYさんの心情が、詞からも歌からもひしひしと伝わってきます。
HIKARU:この曲はサビで「戻れない時間の渦に飲み込まれるFairies」って歌っているんだけど、実はタイトルがもともと「Fairies」だったのね。ただ、それだと「POISON FAIRY」とかぶるなぁと思ってさ。今までそんなに使ったことない妖精がなんで2曲も出て来るの?と思って、1曲目の方のタイトルは変えさせてもらいました。もっとも、今回の詞とかタイトルって今になってみるとね。不思議と今につながってるというか、なんか予感めいた言葉がいくつも出て来てるんだよなぁ。「8月は青い幻」もそうじゃない?どうやら、ちわきも同じようなことを感じたみたい。
──「部屋の中」の〈いつか何処か遥か彼方 僕は旅立つさ〉も…
HIKARU:やっぱりちょっとあるよね。それは俺も思った。
──と同時に、ラストアルバムと銘打たれてる『句点~Period~』を聴いてわたしが改めて感じたのは、DER ZIBETが高い純度と深い渾沌をあわせ持ったバンドであるということでした。HIKARUさんが今作を完成させた今、DER ZIBETというバンドに対して何かを再認識されたところはありますでしょうか。
HIKARU:『句点~Period~』の土台は全て俺とISSAYで作ったもので、今回リズム隊は入ってなかったんだけど、そもそも再結成後のアルバムは2人で引っ張ってずっとやって来てたんでね。リズム隊が入っていた時でも作り方自体は変わってないから、近年は俺とISSAYのユニットみたいなところもあったというか。DER ZIBETとは何なのか?って言われたら、そこはまだつかみ切れてないかも。いまだに自分たちでもよくわかんないよね。
──デビュー40周年を迎えた今、そうしたお言葉が出てくるのはなんだか不思議です。
HIKARU:自分の中ではっきりしてるのは、好きな曲もあれば嫌いな曲もあるっていうことくらいかなぁ。実はその感覚って、俺とISSAYは似てんのよ。ファンから「あの曲やってください」みたいに言われても、結局そういう曲はずっとやんなかったから(笑)
──今さらですが。HIKARUさんは40年前にデビューされた時、DER ZIBETがいずれ40周年を迎えることになるというヴィジョンはお持ちでしたか。
HIKARU:ないないない(苦笑)。ISSAYと仲悪かったんで、1年くらいやったら俺はすぐ辞めたかったのよ(笑)。まぁ、そこから10年ちょっとやって1996年に活動休止することになったんだけど。その後は約9年ブランクがあって、その間には何度かHALとISSAYからオファーが来てたのね。でも、俺はそのたびに断っていた。「まだやる気ないわ」って。
──そんなHIKARUさんがDER ZIBET再結成へと動かれたのは、HALさんの事故と怪我からの現場復帰という“不幸中の幸い”が切っ掛けでしたよね。
HIKARU:HALの件が切っ掛けで、真人も含めた5人でまた集まったっていうのはねぇ。2008年当時はMAYUMIが病気の療養中だったから、当初『reD biteZ』のドラムはみのんちょ(サトウミノル=ex.φPhI)が叩いていたんだけど、そのあとMAYUMIのドラムに差し替えたCDも出してて、そこから5人でDER ZIBETをまたやれたのは今思い返してみてもある種の奇跡だったかもしれない。HALからの言葉がなかったら、再度デルジをやってたかどうかは自分でもわからないくらい大きな切っ掛けにはなったんで。それに、あのタイミングでISSAYとはいろんな話をして和解っていうのかな(笑)、メジャー時代にはお互いに話せなかったこともいっぱいしゃべれたんだよ。
──たとえば、それはどのような話題だったりしたのでしょう。
ISSAYに「あの時、オマエこんなこと言っていたよな」って言ったら、アイツ「あの時に戻って自分を殴ってやりたい」って言っていたことあった(笑)。
──なんとまぁ(苦笑)
HIKARU:ほんと、あのあたりからは大分わかりあえるようになったよね。
──ひとつには、約9年の空白期間を中心にそれぞれがDER ZIBET以外の場所での音楽活動を経験されたことも影響していたのかもしれません。特に、ISSAYさんはHAMLET MACHINE、ΦPhi、ISSAY meets DOLLY、Lynx、KA.F.KAと、さまざまなアーティストと交わりながら多岐にわたる活動をされていましたし。
HIKARU:そうだね。お互いメジャー時代よりオトナになったっていうのはあったと思う。
──なおかつ、それは何も人間的な部分に限らないのでしょうね。あれは再結成後の何時だったか、ライヴを観てISSAYさんに「昔の歌も好きでしたが、今の方がより伸びやかで力強くてもっと好きです」と申し上げたことがあったのですけれど、その時に笑いながらも「あたりまえだろ、ずっと進化し続けてるんだから」と少し怒られてしまったことがありまして。ヴォーカリストとしてのISSAYさんは、年々より豊かな表現力を発揮されるようになっていたように思います。
HIKARU:俺もそこはびっくりしたんだよ。多分、ISSAY meets DOLLYをやったことが特に大きいんじゃないかな。あれってピアノと歌だけでやっていたでしょ。久しぶりにライヴを観に行った時、ほんと昔より全然声量もあるし、歌として凄い良くなっててさ。そこまでにもキャリアは積んでるにしても、ここに来てここまで変わるヴォーカリストってそういないんじゃないかなって思った。純粋に凄いなって感じたよね。
──そうしたISSAYさんの変化を受けて、HIKARUさんが「こんな曲も書けるな」と思われたこともあったりはしました?
HIKARU:それはなかった。というのも、ISSAYに“あてて”曲を書いたことはないから。ジュリー(沢田研二)とか外部アーティストに対しては「こう歌うだろうな」とあてて書いていたけど、ISSAYに対しては大体「こういう曲たちがあるけど、どれを歌ってみたい?」っていう提示をするんですよ。そうだ、今回のアルバムだと「部屋の中」はちょっと遊びっぽい実験的な曲だったのね。まずは俺がラララで歌ってたデモを聴かせたら、今回の7曲の中で一番速く歌詞を書いてきた。ISSAYとしても面白がってたみたい。まぁ、丸くなったとはいってもアイツも頑固なところは凄い頑固じゃん?でも、そういうところはけっこう柔軟で、新しいアプローチに対するチャレンジをちゃんとしてくれるんだよね。再結成後は音楽を作ることに対して、凄い柔軟だったなって思う。
──『句点~Period~』では40周年の節目を迎えてなお新しい境地を感じさせる楽曲が収録されている一方、グラマラスな空気感の漂うロックチューン「POISON FAIRY」はデルジ節と呼んでもいいめくるめく世界を堪能することもできます。個人的にはこれをライヴでぜひ聴いてみたかったです。
HIKARU:そうね、これは今までのデルジっぽいっちゃデルジっぽい。「POISON FAIRY」はこのアルバムの中だと一番キャッチーな曲だろうね。多分、これはそのうち宙也が「ライヴで歌いたい」って言ってくるんじゃないかな(笑)
──できればエキゾチックな香りの漂う「Loveless Actres」もあわせて、いずれそうなってくれることを願いたいです。それにしても、宙也さんは声質も歌い方も本来的にはISSAYさんとは全く異なる個性を持ったヴォーカリストであられるというのに、トリビュートやライヴなどでDER ZIBETの曲を歌ってくださる時には立ち居振る舞いまで含めて、驚異的な“憑依”モードになられるではないですか。
HIKARU:宙也はDER ZIBETの曲を聴きまくったみたいなんだよ。今年の8月と10月のライヴに向けても全曲聴いたぐらいの勢いで、いろいろ「これを歌いたい」「こっちも歌いたい」って言って来てくれて。凄い頭が下がりました。
──それでいて、宙也さんはライヴの後に「ねぇ、どうだった?大丈夫だった?」って質問をされるのですよね。あれほどの憑依状態で歌われているにも関わらず。あの方のDER ZIBETとISSAYさんに対する愛の深さは、もはや凄絶でさえあります。
HIKARU:ありがたいよね。まぁほら、ISSAYと宙也は前から仲良かったじゃない?だけど、俺はこれまでISSAYを介して40年くらい前から知りあいではあるものの、そんなにゆっくりしゃべったことってなかったの。それはちわきもそうなんだけどさ。
──ちわきさんには曲も提供されていたことがありますし、ライヴにもギタリストして参加されていましたよね。やや意外です。
HIKARU:そういう付き合いとか、ライヴの打ち上げでちょっとしゃべるくらいはあったけど、プライベートでじっくり呑むみたいな交流って俺は宙也ともちわきともなかったんでね。それが、2024年のトリビュートあたりから一緒にライヴもやるようになったし、呑むようにもなってさ。そういう意味では、ISSAYが彼らと俺を結び付けてくれたんだよね。これはISSAYが遺してくれた遺産のひとつだな、って感じている。
──そのあらたな絆が『句点~Period~』を生み出した、とは胸熱です。
HIKARU:とりあえず、宙也が決めてくれた40周年ライヴまでに完成して良かったよ。無事に会場先行販売もできたし(笑)。そのかわり、作業的には最後までバタバタで大変で。デザイナーとのアートワークに関するやりとりも、ギリギリだったもんなぁ。







──アートワークといえば。『句点~Period~』のジャケットにはISSAYさんの“手”が描かれており、ブックレットの裏表紙には月を仰ぎ見るISSAYさんの後ろ姿が描かれております。デザイナーさんに対してHIKARUさんは何かオーダーは出されたのですか?
HIKARU:こっちからは特に。彼はこれまでもずっとやってくれている人だし、何も言わなくてもバーン!って確かなものをぶつけてくるから、そこが面白いんだよね。今回もあがってきたものを見て間違いないなと思いました。
──月にまつわる歌が多い『句点~Period~』の内容と、ブックレット裏表紙の月を仰ぎ見るISSAYさんの後ろ姿。つい、わたしは「ISSAYさんって実はかぐや姫だったのかなぁ…月に還っちゃったのかも?」と思ってしまったり。
HIKARU:なんか、近いところにはいそうだよね(笑)
──今回こうして『句点~Period~』が完成したことに対して、あちらのISSAYさんはどのような言葉をくださるのでしょうね。
HIKARU:何も言わないと思う。アイツ、完成しちゃうと何も言わないから。制作してる時は一生懸命なんだけど、出来上がっちゃったらあとは「ライヴでどうやろうな」っていうことの方をいつも考えているからね。だから、ISSAYとはアルバムが出来上がった後にそれについての話って今までしたことないんだよ。
──とはいえ、今回ばかりはHIKARUさんはもちろんのこと、関わってくださった皆様に対しての「40周年の節目で世に出してくれてありがとう」的なお言葉があってもおかしくないのではないかなと。
HIKARU:うん、まぁね(笑)。
マネージャー:言って欲しいですよね(笑)。
──HIKARUさんにとって、この『句点~Period~』を制作していくうえで最も大変だったのはどのようなことでしたか。
HIKARU:メンタル的には、ドラムとベースなしでDER ZIBETとしての作品を出すっていうことを、どこまでオフィシャルで言っていいか自分でもわからなくて。岡野さんに相談した時は「いいんじゃない?」って言ってくれてたし、本人たちとも話はしてるんだけど。俺の中ではいまだにわからなくて、そこは難しいところだった。
──何事にも終わりがあるのは分かっていたつもりでしたし、これがピリオドなのかと思うと寂しい気持ちになってしまうのも事実ですが、それでも万難を乗り越えてここに『句点~Period~』が完成したのは素晴らしいことですね。
HIKARU:はっきりとここで終われた、っていうのは良かったなと思います。1996年の時はうやむやに活動休止っていうかたちだったけど、HALのことがなかったらあのまま解散してても全然おかしくなかったし。ようやくしっかり終われたなと。
──ただし、8月5日のライヴ[ISSAY Memorial Flowers]については今後も宙也さんが続けていってくださると明言されていますよね?
HIKARU:宙也とはそれに限らずいろんなかたちでやっていこう、っていう話はしてるんですよ。8月5日に関しても今回のメンバーはみんな「またやりたいよね」って言っているし、今回もリハのたびにみんなで呑みに行っててすげぇ仲良くなってるから、誰かが抜けるって言うまで続いてくんじゃないかな(笑)。
撮影◎Mami Saito
取材・文◎杉江由紀

<DER ZIBET『句点~Period~』 発売記念 ISSAYパネル展>
@タワーレコード新宿店
【展示期間】2025年10月21日(火)~2025年10月27日(月)
※都合により変更になる場合がございます。予めご了承ください。
【抽選番号配布期間】
2025年10月21日(火)商品入荷次第~2025年10月27日(月)
【当選発表日時】
2025年10月31日(金)正午以降
【対象商品】
2025年10月22日(水)発売
DER ZIBET『句点~Period~』
WAGE-1019 3,300円(税込)
●プレゼント応募要項
対象商品をタワーレコード新宿店にてご購入いただきましたお客様に「抽選番号」を差し上げます。2025年10月31日(金)正午以降に当選番号をタワーレコード新宿店HPおよびX(旧ツイッター)にて発表致します。店頭にて、当選した「抽選番号」とパネルの引き換えを行います。
※お引取りの際は直接タワーレコード新宿店インフォメーションカウンターにお越しください。配送は行いませんのでご了承ください。
※当選のお客様のパネルの取り置き期間は、2025年11月30日(日)までとさせて頂きます。パネルのお引取りはタワーレコード新宿店9階店頭までお越しください。
※「抽選番号」は先着順での配付となり、規定枚数が無くなり次第終了となります。
※パネルの絵柄は選べませんのでご了承ください。
※展示終了後のプレゼントとなりますので損傷等が発生する場合がございます。
DER ZIBET『句点~Period~』
2025年10月22日発売
WAGE-1019 ¥3,300(with tax)
Produced by Hikaru Yoshida
1.戻れない時間の渦
2.POISON FAIRY
3.NIGHT WALKER
4.Loveless Actress
5.部屋の中
6.月の小径 ~Pray under the moon
7.8月は青い幻
8.雲海~sea of clouds
<ボーナストラック>
9.16秒のMelancholy
10.君だけがいない夏
11.愚か者の舟
■member
ISSAY Vocal
HIKARU Guitar, Programming
HAL Bass
MAHITO Keyboards
MAYUMI Drums
Additional Musicians
Chu-ya : Guest Vocal,Chorus
Mayumi Chiwaki : Chorus
MOTOKATSU : Drums
JUN : Bass,Chorus
Seiichiro Yonezawa : Chorus
■songwriter
Words by ISSAY
Music by HIKARU
Arranged by HIKARU & DER ZIBET(reD biteZ)

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